ウクライナ戦争

ウクライナ戦争の真実 =上=

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誰に話しても、ウクライナで起こっている戦争を正しく理解している人はいませんでした。日本で例えたなら解りやすくなるのではと以下の物語を作りました。このようなことがウクライナで起こっています。

=ウクライナ戦争日本版ものがたり= 

円安による輸入品の高騰や、数年間の首相をはじめとする汚職、経済成長の停滞、続く財政赤字により国債の発行が困難となった日本。街には失業者が溢れ、物価は高騰しインフレ率は終戦直後に匹敵する300%となり、政情不安で人々の心に暗雲が垂れ込めています。

政府の政策に反対するデモがたびたび行われ、とうとう大規模な抗議デモが発生しました。政府に不満を持った人が全国から続々と集まり、その数も30万人を超えていました。人々はNGO団体から支給される旅費と日当を目当てに東京へ集まっています。そのNGO団体へは密かに中国共産党から資金が流れています。

デモ隊の一部が暴徒化し、火炎瓶が使われるようになりました。数日するとデモ隊に銃撃による死者が出始めます。数日間で13人の警察官を含む82人が死亡、1100名以上の負傷者を出しました。マスコミは政府による国民への弾圧として取り上げ、民主主義の危機として全世界で報道され始めました。実はこの銃撃は、デモ隊に紛れ込んだ中国共産党のスナイパーです。デモ隊、機動隊両方を銃撃しています。

日本に革命がおこる

国会議事堂を占拠したデモ隊は内閣府などの政府機関も占拠し、臨時革命政府を宣言しました。しばらくして革命政権は日本共和国として自民党の親中派議員を中心とする人民共和国として新憲法を制定しました。

日本共和国政府は、米軍基地の明け渡しを求めました。しかしアメリカはそこが中国軍の基地になることを恐れ、直ちに沖縄を占領。その後まもなく住民投票を行い85%以上の賛成で沖縄県は琉球国として独立します。その後アメリカ合衆国に併合し、沖縄州となりました。また日本の各地にも、日本の社会主義国化を快く思わない人々が一定程度いました。なかでも多かったのは東北地方でした。この地方の人々は従来非常に保守的で現状の変更を好ましく思わない性分です。

分離独立運動の始まり

東北地方では、今回も新体制の社会主義日本には反対で分離独立運動がおこります。この独立を認めない日本共和国軍は武力で弾圧を始めました。しかし、日本共和国軍の士気は低く、武器を保持したまま分離独立派に寝返る国軍が度々続出しました。東北・北海道には国軍兵士の親や兄弟が住んでいますから、士気が低いのは当然です。そのため分離独立軍は武器の不足で困ることはありませんでした。この革命から8年間続く内戦状態の始まりです。

国軍とは別に内閣府直属の軍を創設

革命政府は6年後に国軍の強化をあきらめ、国軍とは別に内閣府直属の国家親衛隊(政府軍)を結成します。日本で生活している外国出身者の中から希望者を募って軍事訓練を始めます。また世界中から傭兵を募集します。

その一部は中国本土へ招いて徹底した特殊訓練を受けさせます。政府軍は非常に残虐で、東北へ派兵されると民間人も分離独立軍も見境なく撃ち殺していきます。

政府軍が入ってきた時、攻撃を受けた村では、女性も子供も関係なく村人全員を虐殺する場合もありました。子供は将来反政府軍になるうえ、女性はその反政府軍を産み増やす可能性があるため殺害の対象です。

平和のための合意書

革命から間もなく、日本周辺諸国により和平のための会議が提案され、フィリピンのマニラで合意書が交わされます。このマニラ議定書では東北・北海道を日本国として特別な地位を認める法律を制定し、すみやかに選挙を行なうこと。政府軍・分離独立軍ともに武器の使用を停止すること。などで合意しました。しかし、この合意は守られずに8年間が経過し内戦は続いていました。

日本共和国政府は合意書を破棄

革命から7年、国家親衛隊(政府軍)も10万人以上となり、中国から兵器の提供も十分なものとなりました。そこでアメリカに併合された沖縄の奪還を目標に掲げます。その半年後、革命から8年後になりますが、突然日本共和国政府は東北・北海道の独立を認めない。と宣言したため、マニラ合意で落ち着いていた戦闘が再び激化します。8年待っても東北・北海道に関する分離独立の法律制定に関する選挙も行わず、マニラ合意を反故にした日本共和国に対して、東北・北海道は一方的に独立を宣言します。アメリカは直ちに独立を承認。独立した東北・北海道はアメリカと安保条約を結びました。

そこで独立国家である東北・北海道はアメリカに支援を求め、アメリカ軍が日本共和国へ攻撃を開始します。ここから再び激しい戦闘が始まります。仙台へ派兵された日本共和国軍の国軍兵士は1000名超がまもなくアメリカ軍に投降しました。

日本共和国政府軍は民間人を盾にして徹底抗戦

しかし日本共和国政府軍は製鉄所に民間人1000名を盾にして閉じこもり、徹底抗戦を始めました。日本共和国側のマスコミはアメリカ軍が民間人を標的として民間の公共施設や住宅、マンションを攻撃しているとさかんに報道していますが、攻撃は、実は女性・子供を含めて生かしてはおけない。という信念を持って戦っている日本共和国政府軍です。

=日本版物語ここまで=

このウクライナ戦争日本版置き換え物語をどう思うでしょうか。この物語とまったく同じことがウクライナで起こっています。次回ウクライナ版で詳しく解説することにします。

つづく

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